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当時、田舎の嫁の副収入として、取柄のない者には、何とも言えない収入源と思われたのであろう。その後、私にも、母乳が余っているから、いい子どもがあったらお世話するからと申込む人もあり、また、生後、子どもが死亡して乳が出るし、淋しいからと次々申し込みがあり、両親は毎日のように大阪へ出かけ、預け入れに没頭する毎日であった。
商都大阪には、理由を同じくする人が沢山あったものである。次々とお世話するうち、大阪府がこれを伝え聴き、調査された結果、大阪市北区浄正橋にある保育所の延長として、夜、働く人達のため、是非、子どもを預かってほしい旨の申し出があった。昭和10年頃であったと思う。田舎の嫁や姑の副収入も可なりのものであったのか、母乳のない人は幼児と言う具合に、隣近所や親類の会合の話題となり、その数は、北倭村七百戸に六百人の児童が里子として、入村し、約半分の戸数に、多い家は3名位の児童が年令差を付けて、里子として預けられていた。殆どの児童は健康状態も良く育ったが、当時の乳製品の粗悪と無医村であったことで、護持院に五体の墓石が現在も残っている。

 

 

 

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